赤い袖先
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赤い袖先は実話なの?実在か元ネタ・モデルや時代設定も紹介!

赤い袖先 実話
Kyoko
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韓国ドラマ『赤い袖先』は実話なのか、元ネタやモデルとなった人物がいるのかどうか。

また時代設定はいつなんだろう…??

そんな風に思っている方多いのではないでしょうか?

この記事では

  1. 『赤い袖先』は実話なのかどうか。
  2. 元ネタやモデル・時代設定はあるのか。

こういった疑問にお答えしていきます!

赤い袖先は実話なの?実在した人物は?

大ヒットドラマ『赤い袖先』は、フィクションの部分が多いものの、登場人物、ストーリーなどは史実に忠実に、丁寧に描かれています。

つまり非常に実話に近いドラマと言えるでしょう。

主人公イ・サン、つまり第22代王正祖(チョンジョ)も、ヒロインのソン・ドギムも、イ・サンの祖父で第21代王英祖(ヨンジョ)も実在し名前も史実通りです。

その他の登場人物もほぼ史実通りで、名前が違うのは2人ほど。

サンの大叔父で政敵である左議政のホン・ジョンヨが実際はホン・イナンという名前ということと、サンの右腕となるホン・ドンノが実際はホン・グギョンというだけ。

では、何が実話ではなくフィクションなのか。

それは、宮女のトップ提調尚宮(チェジョサングン)が広寒宮(クァンハングン)という秘密結社を組織しイ・サンが即位するのを邪魔している部分。

そのような組織は存在しませんでした。

しかしサンは、何度も暗殺の危機にあうなど、周りに敵が多く、気の休まる時がない少年期を過ごしていたのは事実のようです。

ドギムがイ・サンの承恩(王に呼ばれて一夜を共にすること)を死を覚悟して2度も断るという場面が描かれていますが、これは事実。

ドラマでは自立心の強いドギムが自由を求めて断ったことになっていますが、実際は正室に子どもが出来ないことに遠慮してのことだったと言われています。

また東宮に虎が乱入し、サンが虎退治をする場面がありますが、それもフィクションだそう。

巧みにフィクションと史実を織り混ぜ、それでも極力史実に沿って描かれているところが評価され、数々の受賞につながったのかもしれません。

『トキメキ成均館スキャンダル』や『イ・サン』など同じ時代設定のドラマがいくつもあって驚きました。

2010年に『イ・サン』が制作された後になってソン・ドギムに関する史料が見つかったこともあり、『赤い袖先』の方がより史実に沿った内容となっているそうですよ。

ジュノが演じるサンが凛々しくて本当にカッコいいんだよなぁ♡

イサンが生涯愛した女性がいた部分は実話

『イ・サン』制作後に分かった新事実が『赤い袖先』に反映されたとお伝えした内容がこちらです。

ウィビン・ソン氏について新たに分かったこと
  • 本名がソン・ドギムであること
  • 父が、サンの母ヘビン・ホン氏の実家で働いていた縁で宮女となったこと
  • 字が美しいことで知られていた
  • サンの妹たち、チョンヨン、チョンソンと小説を筆写したこと

以上のことから、ドギムは宮女でありながらとても教養があったことが伺えますね。

イ・サンの妹たちと小説を筆写しているシーンは『赤い袖先』でも描かれていました。

そのようなところにも魅かれたのか、イ・サンが自ら選んで側室に迎え、生涯愛した女性はドギムだけと考えられています。

ソンドギムは実在した!

史料が見つかりソン・ドギムが実在した人物だったことは分かっています。

ソン・ドギムは、父親がイ・サンの母であるヘビンの実家で働いていたことが縁で、幼くして宮女となりました。

母親と知り合いということで、幼い時期に息子のイ・サンと出会っていた可能性は高いでしょう。

ドラマで描かれたイ・サンの祖母ヨンビンの葬式で出会ったという話はフィクションのようです。

イ・サンには正室と2人の側室がいましたが、全て政略結婚でした。

自ら気に入り求婚したのはソン・ドギムただ一人と言われています。

15年の間に2度も承恩を断っているのにも関わらず、罪に問われることもなく、結果的に子を産み死ぬまで愛され続けるとは、よほどイ・サンに気に入られていたんですね。

最終的にドギムは世継ぎを産みウィビンとなりますが、史料によると3人の子を妊娠しています。

ドラマでは世子を産み、2人目を妊娠中に世子を病で亡くし、ドギムも亡くなると描かれていました。

しかし、実際に出産したのは1782年出産の文考(ムニョ)世子と2年後に出産した女の子。

そして、ムニョ世子は不幸にも5歳の時に”はしか”で夭逝(幼くして亡くなること)し、実は第二子となる女の子も生後2か月で夭逝しているそうです。

世子が亡くなった同年にドギムも亡くなってしまうのですが、その時ドギムは3人目を妊娠中だったので、はしかの息子とは会わせてもらえず、看取ることが出来ませんでした。

それもあってか気力が落ち、一気に具合が悪くなってしまったドギムはイ・サンの看病もむなしく、数か月後に息を引き取るのです。

享年34歳でした。

なんて悲しい最期なんだ…

赤い袖先の元ネタやモデル・時代設定も調べてみた!

『赤い袖先』には原作小説、カン・ミガン著「袖先赤いクットン」があります。

日本語訳版はドラマの邦題に倣って「赤い袖先」となっていますね。

クットンとは韓服の上着(袖)の部分のことで、宮女たちが着る韓服の袖先は赤と決まっていて、王に仕えている印だったそう。

つまりタイトルは、宮女が着る韓服を意味しているんですね。

この小説のモデルは実在しており、イ・サンつまり第22代王正祖(チョンジョ)と宮女で後に側室ウィビンになるソン・ドギムです。

2人の波乱万丈な人生と、その周りの人物や出来事を史実に沿って、しかしよりドラマチックにフィクションを混ぜながら描かれた小説なんだとか。

ドラマを観て沼にハマった多くの方が原作本を手に入れて読んでいるようですよ。

元ネタは小説の袖先赤いクットン!

先に述べた通り、このドラマの元ネタは小説「袖先赤いクットン」です。

この小説は、宮女たちの生活や思いに焦点を当てているところが特筆すべき点。

今までは宮女は王に仕えて、いかに承恩に呼ばれて子を産めるかしか考えていないような扱いを受けていました。

一度宮女になると一生を王に捧げ、選ばれなくとも他の人との恋愛や結婚、出産は禁止されていたんです。

今の時代では到底考えられないような制約の多い厳しい人生ですよね。

当時はそれが当たり前とされていましたが、数百人の宮女たちがいれば、中には将来の夢を持ったり、自分の人生を考える子がいて当然のような。

そこで、今まで脇役だった宮女たちにスポットを当て、生き生きと夢や人生を語り合いながら自立心溢れる生活を送る姿を描いたのが「袖先赤いクットン」でした。

今までに無かった視点で書かれた小説だったんだね

モデルは第22代国王正祖で時代設定は李氏朝鮮後期

このドラマは第21代王英祖(ヨンジョ)の統治が終わり、世孫だった第22代王正祖(チョンジョ)が即位した時代をモデルに描かれています。

ヨンジョは息子(後に思悼世子”サドセジャ”となる)を米びつに閉じ込めて餓死させるという「米びつ事件」を起こしました。

その時思悼世子は27歳、息子のイ・サンはわずか11歳でした。

父を死に陥れた老論派と常に対立し、自身の命や立場も狙われていたイ・サン。

第22代国王正祖に即位した際も、多くの老論派を粛正したとか。

常に緊張を強いられ、王としての判断を迫られていたイ・サンが後に聖君と呼ばれるに至った朝鮮王朝後期が時代設定の物語です。

孤独ながら国のため、民のために尽くしたイ・サンにも愛する女性がいたと思うと少し救われた気持ちになりますね。

ドラマの中では、王を愛する気持ちはありつつも、最後まで自分の気持ちにまっすぐでいたドギム。

ドギムが息を引き取る間際に会いたいと言ったのは王ではなく宮女の親友たちでした。

切なすぎる王の最期は涙なくしては観られません。

ドギム(ウィビン)をどれだけ思っていたかが分かる日記のような史料も残っているんですよ。

まとめ

この記事では、韓国ドラマ『赤い袖先』が実話なのかどうか、元ネタやモデル・時代設定などもお伝えしてきました。

  1. 赤い袖先は実話に近いフィクションだった!
  2. 元ネタは小説「袖先赤いクットン」で、モデルは第22代王正祖!
  3. 時代設定は李氏朝鮮王朝後期

ということでした。

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