秘密の扉
PR

秘密の扉は実話で実在したモデルがいる?歴史的背景や時代も調べてみた!

秘密の扉 実話
Yoko
記事内に商品プロモーションを含む場合があります

韓国ドラマ『秘密の扉』は実話で実在したモデルがいるのかどうか。

さらに歴史的背景や時代はいつなのか、気になっている方多いはず!

この記事では

  • 『秘密の扉』は実話で実在したモデルがいるのかどうか
  • 歴史的背景や時代について

こんな疑問にお答えしていきたいと思います!

秘密の扉は実話で実在したモデルがいるって本当?

『秘密の扉』は、実話に独自の解釈を加えている本格ミステリー時代劇。

ドラマのラストで、イソン(思悼世子)が米びつで生涯を終えた部分は実話、そして英祖と息子ソンも実在する人物です。

『秘密の扉』で描かれているのは、朝鮮第21代王の英祖と息子のソンの親子の確執や派閥争い、そしてソンの死の裏側など…。

ソンが実の父親で王の英祖に米びつに閉じ込められて亡くなったという実話と、その事件に至るまでの解釈がフィクションで描かれています。

実際の歴史的事件を取り扱っていますが、基本的なストーリーはフィクションと捉えるとよいでしょう。

ドラマでは、ソンが貸し本屋のジダムとともに友人の死に真相を迫る中で、英祖の連判状が明らかになる…というストーリーですが、こちらもフィクション。

そのため、ジダムとソンの友人フンボクは架空の人物と考えられますね

思悼世子の最期が実話!

1762年に起きた「米びつ事件」。

今作は、この歴史的に有名な事件を題材としています。

当時第21代王だった英祖が、実の息子を米びつに閉じ込めて餓死させたこの「米びつ事件」は歴史的にも有名で、韓ドラ時代劇ファンなら聞いたことがある方も多いことでしょう。

『イサン』や『赤い袖先』でも出てくるシーンだよね

そこで、命を落としたのが英祖の息子イソンです。

『秘密の扉』はこの悲しい事件に新しい解釈を加えて、ソンの死に至るまでの過程を本格ミステリーとして仕上げていて見応え抜群なんですよ。

ちなみに、英祖がドラマの中で何度も譲位宣言をしていますが、こちらも実際に在位中8回も譲位宣言したとのことなので、実話となりますね。

実在したモデルは第21代王英祖と息子ソンだった

『秘密の扉』のモデルは、1724年に第21代の王になった英祖とその息子で後に思悼世子となるイソンです。

英祖は、52年という長い期間朝鮮の王として国を率いるリーダーシップをもっていたものの、とても偏屈な性格だったとのこと。

これはドラマの中でも描かれていて、嫌味たっぷりな表情や逆上する姿の英祖が見られ、実際のモデルに忠実に描かれたように感じます。

ハンソッキュのさすがの演技だと感じた方も多いのでは?

対して息子のソンは、史実では父への恐怖心から精神病を患い奇行を繰り返したとのことですが、ドラマではそのような描かれ方はしていません。

実際に父英祖と息子正祖(イサン)と比べると、史実にはソンに関する情報がとても少ないので、人物像についてはドラマが盛り上がるように作られていたのではないでしょうか。

しかし、奇行ではなくても御法度の貸本屋に隠れて行くなどの自由奔放な様子に怒る英祖も『秘密の扉』では描かれています。

奇行ではなくても、かなり困った行動はとっていたよね…

この2人の親子の確執や愛も『秘密の扉』の見どころの一つなので、史実とドラマの違いなども感じながら視聴してみるとより楽しめそうですよ。

秘密の扉の歴史的背景や時代も調査してみた!

『秘密の扉』は、17世紀の李氏朝鮮時代で、21代王英祖が国を率いている時代です。

この時代には、英祖を支持する老論派と兄で先代の王景宗を支持する対抗勢力の少論派が存在しました。

英祖は、幼い頃からこの派閥争いに巻き込まれていたため、暗殺などの命の危険が絶えない時代を過ごします。

後に英祖が王になると老論派が強い勢力をもっていましたが、ソンが生まれたことが少論派の救いとなり、この派閥争いが影響して英祖とソンの親子関係にも亀裂が入ることに…。

そして、英祖の息子はソン一人だったため、ソンは生まれた時から世子の座が危ぶまれることがないという状況はこの時代にはあまりなかったようですね。

実際には長男がいたんだけど幼くして亡くなったから、ソンは2歳で世子になったんだって!

李氏朝鮮時代は、王の息子が何人もいて「誰が次期王になるのか」と王宮の中では、ギスギスした争いが起こるのが通常…。

そのため、英祖からの期待や老論派から批判されることを一身に受け、ソンを追い込んでいくことになったのではないでしょうか。

史実とは異なり、ドラマではソンは精神病を患っていたり奇行に走ったりはしていませんが、周りから相当追い詰められていることはドラマの中でもわかります。

この時代の世子の意味、王座をめぐる戦いなどは知っておく価値がありそうですね。

歴史的背景は17世紀の李氏朝鮮時代

17世紀は、東南アジア全体で大きな変化が起きていたことをご存知でしょうか?

中国では明が衰退し満州が力をもち、李氏朝鮮へも影響力を与えるようになっていた時代。

日本では江戸時代で、朝鮮王朝への交渉が始まったのもこの時代とのことですよ。

そして、朝鮮王朝の中の政治はというと保守派(老論)と革新派(少論)が対立し、王宮の中では王座継承を狙う権力争いが激化していました。

そのような激変の時代に、王権をさらに強いものにした王として英祖が知られています。

英祖は、自身を支持する保守派だけではなく革新派も政治の主要ポストに起用したり、民衆の声が王まで届くようにしたりと、朝鮮王朝を大きく変化させた王なんですね。

ここだけを見ると英祖は素晴らしい王ですが、それ故に息子ソンが思い通りにならないことに悩んでいたのでしょうか。

さらに、ソンは名君の素質をもっていたのですが、老論派に目をつけられてしまったため、政治の中ではどうしても父と対立してしまったようです。

血の繋がる親子でありながら国を率いるもの同士、意見の対立もあり派閥争いもあり…。

王朝の内情は到底想像などできませんが(泣)、英祖もソンも多くの苦労をしなくてはいけない時代だったのでしょう。

国のトップの苦悩なんて計り知れない〜

史実との違いは?

『秘密の扉』では歴史的な人物や出来事は史実がベースになっているものの、ドラマを盛り上げるために脚色され、ほぼフィクションで作られています。

例えば、ソンは亡き先代王景宗が眠る井戸から友人のフンボクが死体で発見され、この真相を探っていくのが今作のストーリーですが、史実ではこのような出来事はありません。

そして、その中で英祖に関する連判状の存在を知ってしまう…などという部分もフィクションになりますね。

連判状も実際に存在したものではないですが、英祖には兄景宗を死に追いやったとの噂があります。

実際には景宗は体が弱かったため35歳の若さで急死したので、ドラマは史実と違うのですが老論派にかつがれて王になったのは事実のようですね。

また、ドラマのラストも史実と違いがあります。

ドラマでは、英祖は世孫か世子か迫られた上で涙を流しながら苦渋の選択をしました。

そして、武力を行使して国を統一する政治が続かないようにと、ソンは自分の命を差し出して父と息子を救う選択をし、自ら米びつに入って死を迎えます。

しかし、史実に記載されている英祖はソンに腹をたてて自害を迫り、できないでいるソンを米びつに閉じ込めた後、ソンの周りの人物を次々と処刑したとのこと…。

父親のすることでしょうか…

英祖の恐ろしさがみて取れる有名な米びつ事件を、少し美化してドラマ化したことがわかりますね。

しかしながら、英祖とソンが派閥争いに巻き込まれて、複雑な親子関係であったことは事実でしょう。

史実では…
  • ソンの友人の死はなかった
  • 連判状は存在しなかった
  • 英祖はソンに腹をたて自害を迫り失敗すると米びつに閉じ込めた

米びつ事件に至るまでのミステリアスなストーリー展開は実話ではないものの、息子を死なせるほど親子関係が歪んでしまっていたことは本当ということですね。

まとめ

『秘密の扉』は実話で実在したモデルがいるのかどうか、歴史的背景や時代もお調べしてお届けしてきました。

  • 『秘密の扉』は実話を元に脚色されたストーリーで、実在したモデルは第21代王英祖と息子ソンだった!
  • 歴史的背景は派閥争いが激しい17世紀で、時代は李氏朝鮮時代!

ということでした。

記事URLをコピーしました